オンライン家庭教師の神津三佳です。
二重らせんと言えば、ワトソンとクリック。
1962年、ジェームズ・ワトソン、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンズの3人は、DNAの分子構造と情報伝達に対する意義の発見に対して、ノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
DNAの二重らせん構造を発見したワトソンとクリックは、一枚のX線写真から、その構造をひらめいた。
その写真を撮った女性は、二人に写真が見られたこともひらめきをもたらしたことも、知らなかった。
このエピソードとはいくつかの本で出会っていたので、どういうことかと、とても気になっていました。
ついに読みました。忘れられない一冊です。
ダークレディと呼ばれて 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実
ブレンダ・マドックス著、福岡伸一監訳、鹿田昌美訳、化学同人より2005年に出版。

かのX線写真は、写真51番と呼ばれ、1952年にロザリンド・フランクリンが撮ったもの。
ロザリンドは、写真51番が、ワトソンとクリックの発見を生み出したことを知らずに、1958年、37歳で卵巣がんでこの世を去ってしまう。
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1953年、他大学のワトソンに写真51番を見せたのは、ロザリンドの同僚のウィルキンズ。
ワトソンは一目見て、二重らせんの証拠だとわかる。
ワトソンとクリックは、ロザリンドが算出した二重らせんに関わる数値を求めて、医学研究会議の報告書を入手(ものすごいはやさで)。
入手元は、ワトソンと同じ大学にいる、医学研究会議のメンバーのマックス・ペルツ。その報告書は非公式だった。
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と、ワトソンが写真51番を見た部分の詳細な記述もさることながら、ロザリンドの伝記であり、優秀な科学者とアカデミアを濃厚に記した一冊でした。
以下に、忘れられないポイントをあげます。
文章と訳、そして解説の素晴らしさ
ロザリンドが書いた膨大な手紙の引用や、関係した人物(クリック、ワトソン、ウィルキンスなどなど!)へのインタビュー等により、ロザリンドの真実に迫っていることが何より素晴らしく、そして、美しい文章。
難解な科学の話が出てくるのに、自然でわかりやすく、読みやすい訳。
そして、福岡先生の解説が!!
すっきりと理解を補って、本とロザリンドの素晴らしさを浮き上がらせてくれました。
ロザリンドの人間性と生産性
超一流の科学者の博識さとひたむきさに感動。
そして海外旅行や登山、料理に友人との交流にと、余暇を楽しむ甚大なエネルギー。
何より、発表した論文は37歳にして37本!
生きていれば、間違いなく、ノーベル賞を受賞していただろうに。
闘病
病気のことは一切仲間に告げず、コバルト治療の通院のため研究室を抜け出す時も、何も語らず。
治療をしながら、最期まで、仲間の将来のためを思って研究やポジションを得ようと行動する最終章は、涙なくしては読めなかった。
愛すべき研究仲間たち
ウィルキンズには「ダークレディ」と言われ、孤立しているように見えていたけど、しっかり仲間がいた。
写真51番を一緒に生み出した、当時の唯一の仲間、ゴズリング・レイモンド。
愛しき上司、メリング・ジャック。
若い研究仲間、ドン・キャスパーとは、幸せになって欲しかった。
最高の共同研究者、クルーグ・アローン(1982年にノーベル化学賞受賞!)。
ワトソンとクリックとのその後の関係
ロザリンドは写真51番の二人への関与は知らなかったけど、ワトソンとクリックとは、それぞれ科学者どうしの心通う交流があった。
晩年はクリック夫妻宅で2ヶ月も静養したりと、深い付き合いがあったことは驚きだった。
しかしワトソンは、著書「二重らせん」で、ロザリンドをネガティブな人物像で描き、修正を加えないまま出版した。
ロザリンドが生きていれば激怒しただろうし、周りからも修正すべきと言われていたのに。
ワトソンの倫理観はどうなっているのか。
「二重らせん」を読んでみるか。